幼い頃、夏になると、父や叔父に連れられ、
東京から長野の祖父母の家に遊びに行きました。
列車が碓氷峠にさしかかると、
雑木林の薄緑がキラキラと眩しく、私は、
雑木林の薄緑がキラキラと眩しく、私は、
車窓にしがみつくようにして目を凝らしていました。
しかし、それもつかの間、暗いトンネルに、
何回も何回も吸い込まれてしまうのは、
何回も何回も吸い込まれてしまうのは、
子供心に情けないと思ったことを
昨日のことのように覚えています。
昨日のことのように覚えています。
有名な荻野やの釜めしを
横川駅の発車時間に間に合うよう、
大人たちがホームを走り回って買い求めていました。
列車が動き始めると、販売員のおじさん達が
深々とおじぎをして見送ってくれました。
列車が動き始めると、販売員のおじさん達が
深々とおじぎをして見送ってくれました。
線路に近いレンガ造りの変電所がお洒落で、
外国の風景のように素敵でした。
それらは、いつまでもそっと胸に抱いていたい、
優しかった父や叔父との、記憶の中の出来事です。
アプトの道
信越本線アプト式鉄道時代の廃線敷を利用して、
横川駅~熊ノ平駅の間の約6キロメートルを遊歩道として整備し、 碓氷峠の自然とめがね橋をはじめとする鉄道遺産に ふれることができます。 |
旧丸山変電所
丸山変電所は碓氷線が幹線鉄道ではじめて電化されたことに伴い、
明治45年に建設されました。 煉瓦造り建築の最盛期のもので、純煉瓦造りです。 また、当時の鉄道・電気の最先端技術が導入されました。 写真と説明は、こちらから。 |
碓氷第三橋梁(めがね橋)
碓氷第三橋梁 通称「めがね橋」は明治25年12月に完成。
芸術と技術が融合した美しいレンガのアーチ橋です。 |
信越本線、碓氷峠の横川~軽井沢間アプト式鉄道は、
その後、旅客、貨物輸送の需要増加に対応できなくなり、
新線の開通と共にその役目を終えました。
そして、その新線もまた、一般路線に比べ、
膨大な運転コストがかかることを理由とし、
平成9年9月30日の特急あさま号を最後に、
横川-軽井沢区間は廃止となったそうです。
その後、時代の流れは、
長野新幹線と上信越自動車道へと移っていきました。
ところで、2018年、9月14日は、早朝から雨でしたが、
私は、予定していた通り、両親の墓参りのため、
早朝7時半に夫と車で横浜の自宅を出発しました。
藤沢を経て、茅ケ崎から圏央道に入り、
埼玉県鶴ヶ島から関越自動車道へ、その後、
藤岡ジャンクションを上信越自動車道に折れると、
10時半には、碓井軽井沢インターの手前、
横川サービスエリアに着きます。
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ヨーロピアンスタイルの外観と、 碓氷峠の代表的なレンガ造りの建造物をイメージした内観。 写真と説明はこちらから。 横川サービスエリアは、広々とした眺めが清々として、 高原の空気が美味しいと感じるサービスエリアです。 駐車場から向かって中央に ショッピングセンターとレストランの建物、その左に 瀟洒なタリーズコーヒーのカフェがあります。 そして、そのさらに左に、 「おや、ここにこんな場所が。」と驚かされるような、 整然と植栽された実にセンスの良い庭が 人知れずといった雰囲気であるのでした。 昨秋、最後にこの場所を訪れた時、その一角が新たに ローズガーデンとして改装されると知らされた私は、 庭の再訪を心待ちにしていました。 横浜ほどの雨模様ではなかったのでしょうが、 水滴の残る宿根の花々を囲むように 素朴な千日紅の彩りがあり、 茂みに埋もれ、名札を確かめることが出来ない 薔薇の花が数種、咲いていました。 |
ヤナギハナガサ(バーべナポナリエンシス) |
フェアリーホワイト(フランネル草) |