2018年7月23日月曜日

ブータン農業の父、西岡京治さん夫人、西岡里子さん

「ブータン農業の父」と呼ばれる西岡京治さんは、
1964年、コロンボ計画農業指導専門家として
海外技術協力事業団(現・国際協力機構(JICA))から
ブータンに派遣され、彼の地の農業発展に貢献されました。


その功績から1980年、
ブータン最高の栄誉であるダショーの称号を
外国人としてただ一人、国王から授かったことは、
よく知られています。

ダショーとは、「最高に優れた人」の意味です。
しかし、1992年、帰国の直前、
当地で受けた歯の治療から敗血症を引き起こし、
59歳の若さで亡くなられたことは、
本当に残念なことでした。


その西岡夫人、里子さんは、私の大学の先輩です
2016年12月、私たち同窓生有志は、
東京、東北沢にある母校クローバーハウスにて、
里子さんから直接、ブータンでの
 貴重なお話を伺う機会を得ました。




クローバーハウスでお話される西岡里子さん。



初めてお会いする西岡里子さんからは、
率直で飾り気のないご性格という印象を受けました。

この日のお話と、

その後の多少の機会を通して伺ったお話から、
私は、西岡さんご夫妻の、
このブータンという国に来たからには、
人々のために少しでも役に立つことをしたいという
素朴な情熱が、素直な現地の人々の心に直接届いた結果、
ご夫妻が現地の生活に溶け込んでいかれたのだと
理解しました。


   
ブータン パロ・ゾン
ご夫妻が赴任されたパロの写真。
写真はこちらから。https://etours.world/bhutan/



西岡さんが農業指導を始めるまで、
ブータンでは野菜も栽培されていましたが、
自給自足の目的が主で、
換金作物としてではなかったようです。

市場がなく、物々交換が一般的だったブータンでは、
ご夫妻には、当初、
異なった環境下でのご苦労が続いたそうです。


そのような状況下、着任一年目の西岡さんは、
赴任されたパロで何が育つのかを熟慮し、
白菜、キャベツ、大根、トマト、キュウリ等の播種を
試みられたされたそうです。

技術的には、畝をたて、深く耕すことを指導され、
それらの野菜は、彼の地で良く育ったとのことです。
それまで小さかったブータンの大根が、
大きく育つようになりました。

そして、その後は、
アスパラガス、ナス、ピーマン、カリフラワーと、
栽培品種を広げられていったようです。



ミカンは元々ヒマラヤ山脈南東部丘陵地帯に分布していました。
種は多いが、味はとても良かったそうです。
写真は、西岡里子さんから。


このような西岡さんの努力と
当時の国王の農業への強い関心と理解、
それに、ブータンの人々の勤勉さと
新しいものを取り入れようとする排他性のなさが立派で
主食の米あるいはトウモロコシに、肉中心のおかずといった、
当時の人々の食生活が次第に、
野菜をより多く取り入れたものへと
変化していったようです。



ティンプー棚田の風景。国土の大半が2000mを超え、
標高が高いにもかかわらず、ブータンの緯度は北緯26度で
沖縄と同じそうです。写真は、西田里子さんから。


ブータンでの稲作は、
赴任当時から、盛んだったようですが、
西岡さんは、苗代にもみを撒く、並木植えにするなど、
日本式栽培技術の導入に力を入れ、改良されました。

里子さんは、現在も年に数回、ブータンを訪れ、
身の丈に合ったやりかたで、現地の人々との交流を深め、
ブータンの紹介に努めていらっしゃいます。

その里子さんは、ブータンのホテルに泊まると、
ビュッフェの食事は、ほとんどが野菜料理で、
野菜の煮込みなど、昔食べなかったものが並ぶ。
そのなかにアスパラガス、カリフラワーなどがあると
感慨深げにお話されました。

西岡さんがなさったことで
良かったと思うことを挙げるとしたら、
他に何でしょうかと私が伺うと、
ブータンの、ものを大切にする国民性に触れられ、
部品があり、修理可能で無駄にならない
農業機械の導入に道を開いたことではないでしょうかと
おっしゃいました。




写真は、西岡里子さんから。