JR御茶ノ水駅から明治大学方向、二つ目の交差点を右に曲がり、
街路樹の緑が美しい、ゆるやかな坂の上に、
山の上ホテルがあります。
このホテルが、1905年、米国から英語教師として来日し、
キリスト教伝道活動に携わる一方、
日本の近代西洋建築設計に大きな足跡を残した
W. M.Voriesによるものと
これまで全く知りませんでした。
ところが、連絡してくださる方があり、
10日ほど前の8月19日、ホテルが主催したイベント
「山の上ホテル作家展2017
ヴォーリズ建築としての山の上ホテル」に
友人三人で参加しました。
![]() |
神戸女学院のキャンパス。写真は、学院のホームページから。 |
私の母校神戸女学院は、
2014年、ヴォーリズの設計による校舎12棟が
国の重要文化財に指定されています。
そして、Vories夫人、一柳満喜子は、
その母校の大先輩です。
私がヴォーリーズ建築に興味をもつ理由の一つには、
以上のようなことが関係しています。
駅から歩いて10分、私たちがホテルに到着すると、
入口で若いスタッフ2名が爽やかに出迎えてくれました。
その後、予定していた通り、
地下の Chinese Dining 新北京の
本格的中華ランチを楽しんだ後、ホテル2階の、
窓から緑のみえるこじんまりした会場に移ると、
登壇者3名によるトークショーが始まりました。
その内容によると、
大正から昭和にかけ、ここ御茶ノ水界隈では、
日本人が西洋文化を生活面で取り入れていくための
「生活改善運動」と呼ばれる文化的ムーブメントが
花開いたそうです。
そのムーブメントの中にあって、
建築の分野から発信したのが、ヴォーリーズであり、
その想いで設計された「佐藤新興生活館」が
このホテルの前身、
当時の日本人女性に西洋の生活様式、
マナー等を啓蒙する施設として利用されていたそうです。
その後、予定していた通り、
地下の Chinese Dining 新北京の
本格的中華ランチを楽しんだ後、ホテル2階の、
窓から緑のみえるこじんまりした会場に移ると、
登壇者3名によるトークショーが始まりました。
その内容によると、
大正から昭和にかけ、ここ御茶ノ水界隈では、
日本人が西洋文化を生活面で取り入れていくための
「生活改善運動」と呼ばれる文化的ムーブメントが
花開いたそうです。
そのムーブメントの中にあって、
建築の分野から発信したのが、ヴォーリーズであり、
その想いで設計された「佐藤新興生活館」が
このホテルの前身、
当時の日本人女性に西洋の生活様式、
マナー等を啓蒙する施設として利用されていたそうです。
写真は、ホテルのホームページから。 |
ヴォーリーズが創立し、今なお現存する
一粒社ヴォーリーズ建築事務所のHPを開くと、
「我々は自分の建物を造るが、
つぎにはその建物が我々を造る。」と言う
建築家ソビックの言葉が紹介され、
ヴォーリズも同様の考えであったと記されています。
登壇者の関西弁のイントネーションが耳に柔らかで、
都心の古い建物の中、
極めて居心地が良いと感じる午後の時間が
ゆるやかに流れてゆきました。
帰宅して改めてホテルのHPを開くと、
「東京の真中にかういう静かな宿があるとは思わなかった。
設備も清潔を極め、
サービスもまだ少し素人っぽい処が実にいい。
ねがはくは、ここが有名になりすぎたり、
はやりすぎたりしませんやうに。」という
一粒社ヴォーリーズ建築事務所のHPを開くと、
「我々は自分の建物を造るが、
つぎにはその建物が我々を造る。」と言う
建築家ソビックの言葉が紹介され、
ヴォーリズも同様の考えであったと記されています。
登壇者の関西弁のイントネーションが耳に柔らかで、
都心の古い建物の中、
極めて居心地が良いと感じる午後の時間が
ゆるやかに流れてゆきました。
帰宅して改めてホテルのHPを開くと、
「東京の真中にかういう静かな宿があるとは思わなかった。
設備も清潔を極め、
サービスもまだ少し素人っぽい処が実にいい。
ねがはくは、ここが有名になりすぎたり、
はやりすぎたりしませんやうに。」という
三島 由紀夫の言葉、
「ただありがたいといふ気持ちで心から『つくす』だけ
これを何十年と続けるうちにこんなホテルになりました」
というホテルの言葉がありました。
建物がその中の人間を造るという建築家の思想は
確実に生きているようですね。
義妹の実家の父親が、奈良から上京する際、
この小さなホテルを定宿にしていましたが、
その理由が今、初めて分かったような気持ちがしました。
http://www.yamanoue-hotel.co.jp/concept
http://www.vories.co.jp/company/mission.html