2017年10月2日月曜日

母のこと




95歳を目前にした6月10日、
夢のように母はこの世を去って行きました。

大好きだったたくさんの花々、自費出版の俳句本、
家族と一緒の幸せな写真に囲まれた思い通りの通夜、
告別式の後、8月には新盆、
そして父の眠る墓に納骨を済ませると、寂しいながら、
しかし、私たち家族は皆、安心し、ほっと心を解きました。








善光寺平を見下ろす両親の墓。



その納骨から3か月たったお彼岸の9月12日、
息子と待ち合わせた夫と私は、午前中に車で藤沢を出発し、
めっきり日の短くなった長野の夕暮れどき、
深い緑にシンと沈んだ、
善光寺の墓地を訪れることができました。

息子は、自分で用意してきた、心づくしの花束を黙々と活け、
私は、墓石の上に散った白い木槿の花がらを
一つ一つ手でつまみ、きれいに片づけました

夫が火をつけた線香の煙が漂い、
家族三人は、それぞれの想いの中で
静かに両親に手を合わせました。
そして、暗くならないうちにと
言葉少なく、砂利道を踏みしめながら
善光寺平を見下ろす山の墓地を離れました。

介護のため、
最初の一年は毎月、その後は二月に一度の割で
4年半往復し続けた高速道路、
その妙義山に近い横川SAは、行きは、
待ちかねているであろう母を
施設から車で40分ほどの母の家に連れ帰ることを
楽しみにし、帰りは、
横浜での忙しい自分の生活へと気持ちをリセットする、
そのような私の心をなぐさめてくれるのに十分な場所でした。



行きの下り線横川SA。ここの花のデザインは季節ごとに素晴らしい。



ゴミ一つなく整然と管理されている静かな散歩道。



現在は、薔薇園に模様替えされた様子。







帰りの上り線横川SA



こちら側からは妙義山が見渡せて私のお気に入りの風景。300万年前の火山活動の結果。
柔らかな堆積層が侵食され、溶岩の岩体が露出した、意図の無い自然の造形。
紅葉の時期に浅間山トンネルを抜けて裏から見る景色が特に素晴らしい



午後3時頃母の施設を出発し、途中のスーパーで買い物をすませると、
横川に着く頃にはいつも日が暮れかけています。
横浜で留守居の夫にここからおおよその到着時刻を連絡していました。



それが昨年の秋ごろから私は、
横浜の自宅に戻った後も疲れがとれなくなり、
体調を崩すようになりました。

このまま母の介護を続けるためには、
横浜から通う間隔を広げるなど、
何か方策を考え直さなければと弟に相談していました。

そのことを母は敏感に悟っていたことでしょう。
子供たちにこれ以上迷惑をかけたくない気持ちが叶い、
突然、旅立っていってしまった
枯れるような、そしてけなげな、
母の死だったように思います。



施設に戻る日に昼食をとった別所温泉近くの二人のお気に入りのお蕎麦屋さん。
その清潔な佇まいが上田市の景観賞をとっています。



標高1200メートルでの自家栽培、手を抜かない、美味しいお蕎麦と檜造りのお店が有名。
季節には、リンゴのてんぷらもおいしい。
最後の頃、母はこの店に弟を連れてきて食べさせたいと私に話していました。



9月13日、最後に横浜に戻る際の妙義山。寄る時間がいつもと違うせいかSAは、閑散としていました。